大阪の「ええもん」 天満天神MAIDO屋
大阪の「ええもん」を集めた
セレクトショップ。
2014年4月26日OPENしました!
大阪天満宮のお膝元、日本一長い大阪天神橋2丁目に
「天満天神MAIDO屋」はあります。
天満天神をはじめ、大阪の「ええもん」「ええとこ」を
知っていただき、好きになっていただいて、
たくさんの人に足を運んでいただけるようにと考えています。
〒530-0041
大阪府大阪市北区天神橋2丁目1-23
営業時間:11:00 – 18:30(定休日なし)
TEL:06-6882-3361
天満天神MAIDO屋女将の
「天満天神おすすめスポット」です。
スクロールをしてご確認ください。
クリックでスポットの解説をご覧いただけます
天満の歴史とまちなみ歴史深いまち、天満
天満は難波津(なにわづ)といわれた古代より人が住み、天歴3年(949年)に大阪天満宮が現在地に鎮座。その後豊臣秀吉が天満宮の東に置いた天満本願寺の寺内町として開発され、江戸時代には大坂三郷(大坂城下における3つの町組の総称で北組、南組、天満組の3組から成る。)のひとつ天満組と呼ばれていた歴史あるまちです。大阪天満宮は創建当時から天神祭など季節ごとに祭りを行い、現代に受け継いでいます。
また、江戸時代には落語や人形浄瑠璃の小屋などが立ち並ぶ大坂有数の遊興地となり、多くの人がこの地を訪れました。
旧淀川である大川沿いには、江戸時代から天満青物市場をはじめとする各種市場が立地し、乾物問屋・酒造業・ガラス製造業など同業種の集積もみられ、舟運を活かした商いの場として栄えました。今でも菅原町には乾物問屋の集積がみられ、その面影を伝えています。
大阪天満宮
私たちは親しみを込めて「天神さん」と呼んでいます。
1000年以上続く「天神祭り」が毎年7月24~25日に行われ、天満天神は祭り一色となり、MAIDO屋の前も獅子舞や神輿が練り歩きます。
菅原道真公を祀る大阪天満宮は学問の神様として有名で、毎年受験シーズンになると、いつもは閉じている登竜門が開かれ、登竜門を通り抜けて難関を突破できるように祈願する「通り抜け参拝」が行われます。
2014年に江戸時代「大阪四清水」と言われた境内の地下水「天満天神の水」を復活させました。毎月1・10・25日にはガラスのほこらが開き、参拝者も井戸水を飲むことができます。「天満天神の水」は天満天神MAIDO屋でもご購入いただけます。また、この水を使って作られた地サイダー「UME・TEMMA」や葛餅「なにわの恵み」も好評です。
大阪ガラス発祥之地の碑
大阪天満宮のえびす門に「大阪ガラス発祥の地」という石碑が建っています。
ここ天満に江戸時代、長崎のガラス職人播磨屋清兵衛によってガラスの技術がもたらされたそうです。数十年前まで天満界隈はガラスの工場が多く、ガラス工業が盛んでした。
その地で従来の切子に独特の輝きを与えたのが「天満切子」です。
天満天神MAIDO屋の「天満切子」は、天満切子の生みの親である故宇良武一氏の下で学んだ西川昌美氏が全ての工程を手作業で行い、手間と時間をかけて一品ずつ完成させています。
星合の池
大阪天満宮の北側にある星合の池。
私たちは子供のころから「亀の池」と呼んでいましたが、いつからそんな洒落た名前になったんや???と思ったら正式名称だったようです(笑)その通称の通りカメやアメンボウ・小魚がたくさんいて、今も昔も子供たちの遊び場で都会のオアシスです。
3月には梅の花が咲き誇り、春の訪れを楽しませてくれます。
近頃は、池に浮かんだ梅型の的に願い玉を投げて運試しができます!願い玉は大阪天満宮境内社務所か星合茶屋にあります。(初穂料500円)
天神橋筋商店街
天神橋1丁目から6丁目まで南北2.6km。600の店舗が軒を連ねる日本一長いアーケード商店街です。
天満天神MAIDO屋は通称天二(てんに)と呼ばれる天神橋筋二丁目に位置します。
天神橋筋商店街は、大阪天満宮の門前町として栄えました。北摂の農家の人たちが天満青物市場に野菜を納めた帰りに日用品を買い揃えるため、それを売る店が並びはじめたのが起こりだと言われています。
天満天神・繁昌亭
2006年9月15日。60年ぶりに大阪に上方落語の定席小屋ができました!
大阪天満宮の北門辺りには昔、映画館や芝居小屋・寄席がたくさんあり賑わっていた、吉本興業発祥の地です。この場所に大阪天満宮さんがこの街の活性化になるならと無償で土地を貸し、大阪の人々の寄付で建てられました。
上方落語協会会館
2001年、安藤忠雄さんが建築設計されました。安藤忠雄さんと一目でわかるコンクリート張りの建物正面の壁に上方落語の「上」という文字がスリットとなっていて上部に大きな三角窓と天窓があり、自然光が入るような斬新なデザイン。
二階から三階は吹き抜けとなっていて一階が事務所・二階が稽古場・三階は会長室と資料室になっています。一階から二階・二階から三階の階段の幅がドンドン狭くなっていきます。最初は大勢いても頂点に上がれるのはほんの一握りという落語家の厳しさを表しているとか・・・
一般の人が見学することはできませんが、外観だけでも見る価値ありです!
[川端康成生誕の地]の碑
川端康成が大阪生まれ?意外に思われる方も多いかと思いますが、大阪市北区で生まれ、若くして両親を亡くして大阪府内を転々され、18歳で作家を目指して上京されたそうです。
とりゐ味噌
創業は江戸時代で、大塩平八郎も常連であったと言われているそうです。
良質の麹づくりと天然醸造にこだわり、およそ2年もの間じっくり寝かせた秘伝の種味噌は他の味噌と合わせることで其々の味噌が持つ風味を最高の状況へ引き上げます。
この種味噌がとりゐ味噌独自の味の秘密だそうです。
営業時間:平日9時半~18時まで
天満組惣会所跡
天満組は江戸時代に大坂町奉行からある程度の自治を認められていた組織のひとつで、北組・南組と3組総称で大阪三郷と呼ばれていました。
惣会所には町人から選ばれた惣年寄・町年寄・惣代達が事務や実務にあたったそうです。
滝川公園内、北西側入り口にあります。
提灯舗かわい
江戸時代1858年から続く提灯屋で、天二の大きな赤い提灯や天神祭り・繁昌亭の提灯なども手掛けられています。
天満天神MAIDO屋の外装提灯・店内にディスプレイしている提灯も「提灯舗かわい」さんに作っていただきました。
「提灯舗かわい」さんでは、丸竹を手加工でヒゴに裂割をし、一本一本 輪に加工した骨組みに、純手漉き和紙を張る伝統的な工法で作られる「地張提灯(じばりちょうちん)」にひとつひとつ筆を使って文字やイラストを手描きしていきます。昔は分業だった作業も現在は製造から絵付けまですべての工程を自分達で行われています。
天満青物市場跡
旧淀川である大川沿いには江戸時代から天満青物市場をはじめとする各種市場が立地し、船運を活かした商いの場として栄えました。昭和6年に中央市場ができるまでは、日本一の市場で日本中の野菜の価格は天満で決められていた程です。
大阪・天満の繁栄は、大阪天満宮と天満青物市場によってもたらされました。昭和40年代、まだ天満青物市場の名残か、天満宮の表参道沿いには乾物問屋・鮮魚問屋・青果問屋などが立ち並び猪が道に横たわっている猪肉卸店までもありました。
天満青物市場は、「第3回大阪の本屋と問屋が選んだほんまに読んでほしい本」に選ばれた浅井まかて著「すかたん」の舞台にもなっています。
天神橋
高田郁さんの「銀二貫」の舞台にもなっている天神橋。
天満橋・難波橋とともに「浪華の三大橋」と親しまれています。
「灯りのゆらめき天神橋」のコンセプトのもと、天神祭の灯りをテーマに橋梁側面にオレンジ色の灯りを設置。灯篭をイメージした光で橋梁のエッジを彩るとともに、川面に映る灯りのゆらめきを表現しています。
天神橋中央から降りると、北浜~淀屋橋へと中ノ島公園が続きます。橋の東側南寄りにスロープがあり、八軒屋浜~天満橋に続く遊歩道があります。また北詰から降りると桜並木が桜ノ宮まで続く南天満公園があります。
※写真は天満橋から見る天神橋
剣先公園
天神橋の東側中央部分からループを描くスロープからグルグルと降りれるようになっています。
中ノ島公園の東端にあたり、公園の先端にはガラスのモニュメントがあり、そこから毎時0分・30分には大きな噴水が大川に向かって発射され、大きく孤を描いた噴水の下を船が通ったり、夜にはライトアップされます。
ガラスのモニュメント「帆(ふね)Sailing to the NEXT STAGE)」 水都大阪の発展に寄与した船運の歴史や地元天満がガラス発祥の地という歴史的背景を踏まえて作られたはガラスアーティスト岡本覚氏の作品です。
中ノ島公園
天神橋から淀屋橋まで約1.5km続く中ノ島公園。天神橋を降りた付近は整備されて芝生公園となっています。堂島川と土佐堀川にはさまれ両川を様々な遊覧船が行き交いSAP等もよく見かけます。北浜方面に向かうとバラ公園があり5月・10月には約4000株ものバラが見頃となります。難波橋を超えると中ノ島図書館・中央公会堂とレトロな建物が続きます。また東洋陶磁美術館横には安藤忠雄氏の提案・寄付によって2020年7月「こども本の森 中之島」(予約制)が開館されました。
八軒家浜跡
江戸時代、八軒屋浜は大阪京都を結んで淀川を行き来する三十国船の船着き場として栄えていました。八軒の旅宿があったので「八軒屋」と呼ばれてたそうです。
現在は「川の駅はちけんや」があり、レストラン・観光船の発着場になっていて、天神橋から天満橋に続く遊歩道も整備されています。
写真の常夜燈は、夜間の船の乗り降りの安全のために一晩中つけられていた当時の常夜灯を復活させたものです。
天満橋
天満橋は「天が満つる光の架け橋」をコンセプトにライトアップされています。ガラス発祥の地天満の歴史を活かし、天満の歴史を印象付ける天満切子模様を橋の側面に浮かび上がらせ、天満宮の天と星と人の交流を生み出した「星合池」をモチーフに、星の光が川面に写る演出が加えられました。
天満橋西側から天神橋の方向を見るとニューヨークのマンハッタンを思わせる景色で、夕暮れ時や夜景は最高です。
まほうびん記念館
象印マホービンの本社に「まほうびん記念館」があります。
大正初期から昭和初期にかけて天満界隈は日本のガラス工業をリードしていました。
魔法瓶を作る優秀なガラス職人も天満に集中しており、天満は日本の魔法瓶産業の中心地となったそうです。